| ●第一の人物/the
late greatジェフリー・エセル |
第二次大戦アビエーターにして膨大で充実した写真コレクションのオーナーでありエディター/オーサー。P38に騎乗して不慮の死を遂げた。本望かもしれないが,残された者にとってその損失は大きい。
彼の本は私の中身の乏しい本棚にさえ数冊並んでおり,その一枚一枚の写真はコダクロームのすばらしく豊かな天然色によって見る者の心を酔わし,空を飛んでいるかのような思いをさせてくれる。
その中の一枚に,暮れ行く低い夕日に照らされた少々くたびれたムスタングの写真がある。褪めはじめたグリーンの迷彩と,もはやほとんどをタッチアップされたインベイション・ストライプが激戦の季節から戦い続けていることを示している。途中まで垂れ下がった脚収納ドアは,エンジンが止まって油圧が抜けはじめている証左であり,すなわちミッションから戻ってから既にしばらくの時間が過ぎたことを物語る。静寂さえ感じさせるショットだ。用廃〜War-
Weary〜既定時限の目前あるいは当日に,搭乗員か整備員が,記録班に頼み込んでこの珠玉のカットを撮影させたのかもしれない。
この一枚のあまりのすばらしさに,この機体を再現し,J・エセル氏にデディケィションを捧げたいと考えた。エセル氏が故人になるとは,夢思っていなかったのだが。
エセル氏の本を入手できるようになったのは,90年代になってしばらくしてからだが,はじめてこのP51『Little Kitten
』の写真を見てふと思ったのは,あれ,どっかで見たグリーンだぞ,ということ。
ムスタングといえばマスタングなどではなく,それは銀色もしくは茶色である,という認識しかないので,英本土に展開した部隊が出所不明の緑色を塗っていたなんて知る由もない。しかし見たことがある,そうだ,モデルアートの作例だ!
果たしてそうでした。MA誌1988年6月号ヨーロッパ戦線のエース・パート1での石塚作例でした。
上記の通り,何も知らんかったゆえ,知識との違和感を覚えながらも『イイ色だなぁ』と印象に深かった緑色が,実際に戦場で撮られた写真と実にしっくり来るトーンだと知って,少々くらくらしてしまった。
よーしよし,この作品の色味を参考にすればなんとかなるかもしれん,単純にそう思い込んだものの,さぁ,それではどこのキットを使うのかノ?
まだ世間にはアキュレイトのキットもタミヤのも存在していない時期であり,私が僥倖にして石塚氏と知己を得るのもまだ先の話であった。
かくてムスタングの野望は沈静化し,忘れかけていたのだが,まずアキュレイトが衝撃的なアリソンムスタングでデビュー,B/C型は時間のモンダイとなり,タミヤもB型までの展開が視野に入っていた。
無知とはおそろしいもので,なんとか蛇に怖じず,タミヤのB型が出た時にD型のお尻をくっつけようとしたら合わなかったノ!
当たり前である,B型とD型じゃ,実機からして背中のラインが違うのである。
とほほ。ここでまた野望は沈んでしまった。
ここで関谷さんの技法との出会いがあった。MA誌で『絵師』とも呼べそうな塗りを見せていた関谷政明さんが,MA別冊でその技法を公開した。サンプルになっていたのはタミヤのコルセアとムスタング。私はこれ幸いと本とにらめっこしながらその塗りをコピーした。悪くなかった。以降私の内装の塗りは関谷さんのコピーであります!
かくて私の流浪のムスタングは,内装の塗りの習作として使命を終えたかのようだったのだが。
同様に内装の習作だったコルセアが,たまさか勢いがついて-C型として完成してからも,ムスタングは眠りについていた。アキュレイトの-C型を使うか決めかねていたし,だとするとタミヤのに背びれを追加することになる。しかしそもそも背びれのマトモな資料がない!!
この間石塚さんと知り合うことができ,かのムスタングの現物を見せていただき思いっきりため息をついたり,サラリーマンになったおかげで急速に電脳化/ネット化が進んだりした。そこで私の記憶が確かなら,こばちゃんとこのHP経由でAGGRESSORさんのHPに辿り着いた。
ここにはタミヤのB型の克明な製作記があり,タミヤを作るのに必要にして十分な情報があった。タミヤのキットの特徴なのだが,はじめる前に知ってないとどうにも苦労させられる齟齬があるのである。こんだけのパーツ精度を持ちながら,正しい上半角の決定を阻害するダボがあったりするのである。それが伝統というものかもしれないが,いまでもそういうヘンなところは,タミヤの飛行機には現れるものと思ってよい。
さておき,こうして私は障害に備えながらモデリングを進め、2001の緑のムスタングとの邂逅このHPは精緻でありながらたぎらせるものを持つ。私がAGGさんと酒呑んで騒ぐに至るのはまだ後だが,手ごたえはすでに感じていた(勝手にだけど)。さておき,こうして私は障害をクリアしながら順調に並行してマーキングの準備をはじめた。ところがぎっちょん,この機体を作ろうと心に決めた時にはどこの店にもあったマイクロのデカールが,いまやどこにもなかったのである。レコード(CD)と本とプラモはタッチ&バイ,すなわち現物を見つけたその時に買え!という金言至言があるけれど,私はそこにデカールを追加しておきたい。みなさん,デカールもタッチ&バイですよ!
電脳モデリングワールドの水先案内人はこばちゃんでありかば◎さんでありたまん氏であったが、私の巡り会った同胞はがらんどうさんであった。詳しくは泣けて来るので省略する。良い話がいっぱいあるのだよ。ふっふっふ。
で,マーキングだが,『デカールなんて使わなくても』と,石塚さんは言うのだが。そんなわけにはいかんでしょう〜〜〜。ドイツ機の十字はマスキンングテープを切ってでもなんとかなるだろうが,スターズンバーズとなるといけません。ましてノーズアートのロゴ。
仕方がないので1/72のシートを拡大コピーして下地にして切り紙細工かな,と思っていた時期に,たまさかがらんどうさんとオフ会となった。で,氏の縄張りで物色していたら,あんなに探してたデカールがひょいと出てきた。しかも2枚。
こうしてフリクションが作動して,背びれの分割ラインは心眼で見抜き,(結果的に当たってたからいいけどさー),タイミングよく発売になったエデュアルドのプレカットマスキングシートなど投入してガシガシと製作は進む。
翼産会の年次定例展示会には間に合わなかったが,2001年の静岡合同展示会に滑り込んだ。あの一枚の写真から読み取れる情報はすべて反映した。取捨選択はほぼ皆無だ。そういう阿呆なモデリングがあっても良いと思ったし,またそうでもなければこの作品を巡る人々に恥ずかしいような気もした。やるだけやったのだ。
このムスタング,運に恵まれた作品らしく,石塚さんにも関谷さんにもお目通りが叶い,がらんどうさんにはこのHPでの紹介を推していただいた。加えてたまさかお鉢が回ってきたタミヤニュースのクラブ紹介で大きく掲載されてしまうという余禄がついた。これは少年時代の夢だった,『自分の作品がタミヤニュースに載る』の実現であり,感慨深いものがあった。こばちゃんが静岡直後に『あのムスタングは写真の情報をぜんぶぶちこんでかつ模型として成り立つかやってみたかったんでしょ』とメールで看破してくれたのも痛快事。
というわけで,いまのところたぶん私の代表作なんだろうと思う。ただし現物が安置されているお店(ムーンベース)では,私の作品と思ってない常連が多いとのことだ。そうだろうな,なんでムスタング,って自分でも思ってるわけで。それもまた模型の奥の深いところか。
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